「詰める」上司は凡ミスを生む

「詰める」上司は凡ミスを生む

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自分の部下に対して「こいつ何回指摘してもいつもミスばっかりするんだよな~」と思っている役職者の方、いませんか?
逆に「いつも上司に指摘されるんだけどミスが直らない・・・」と悩んでいる会社員の方、いませんか?

そんな方たちに読んで欲しい今回の題材は、「凡ミスをするメカニズム」と「詰める文化」の関連性についてです。

本コラムをお読みいただいて、「詰める上司」は自責で考えコミュニケーションを変え、「ミスする部下」は他責にして気を楽にしていただければ幸いです。

凡ミスをするメカニズム

凡ミスが多くて悩んでる皆さま、安心してください。そんなに落ち込まずとも良いのです。
凡ミスはあなたのせいではなく、脳のせいなのだから。

凡ミスが発生する根源を、脳科学的に調査すると下記の4つのタイプに分けられます。

  1. 集中力の低下
  2. ワーキングメモリの不足
  3. 脳の疲労
  4. 脳の老化

これら4つの発生理由は、個別の問題ではなく、お互いが紐づく関係にありますが、その特徴を理解することで、解決策を考えることができます。

昔から凡ミスが多い・・・集中力の低下

「データの入力で1個抜けて、全部やり直し・・・」「間違えていっぱい印刷しちゃった」等のミスは、集中力の低下によるものかもしれません。

そういう方は、何か作業をしているときに別のことを考えてしまったり、合間に別の作業も行っていたりしませんか?世にいう「拡散タイプ」の人たちがやりがちな現象です。
そのように、1つのことに集中できないことがきっかけで、凡ミスが発生してしまうばあいがあります。

解決策は主に2つです。
1つ目は集中できる時間帯に複雑な作業を済ませることです。脳科学的には、午前中が集中力が高い時間と言われており、その時間に複雑な作業を済ませ、午後に脳を拡散させましょう。
2つ目は、ToDoリストを作っておくことです。複雑な作業の途中で「今日はあと何をやるんだっけ?」「何かやらないといけないことがあったような・・・」といった不安が、集中力をていかさせるもととなります。したがって、不要な不安を生まないように、確り整理しておきましょう。

追い込まれるとミスが増える・・・ワーキングメモリーの不足

期限が迫ってくると、急にミスが増える方は、ワーキングメモリーが不足しているかもしれません。ワーキングメモリーとは、すなわち「どれだけの作業を一気に行えるか」というキャパシティの大きさにつながります。自分のキャパシティを超えた作業を一気に行えば、当然ミスも増えますし、外的要因によってキャパシティが減少してしまうこともあるでしょう。

そんなワーキングメモリーの不足でミスを招いてしまう人は、まずもってマルチタスクを避けましょう。
前述の集中力の低下の話で出てきた「拡散タイプ」の人でも、ミスをせずに多くの仕事をこなせる方は大勢います。そういう方たちは、もともとマルチタスクが得意で、大きなキャパシティを持っています。(余談ですが、キャパシティが大きいからこその弱みもあるので、その点はキャパシティが小さくても、自分を卑下しないでください。)
キャパシティに自信が無い人は、確り1つずつこなしていくことを意識すると良いでしょう。

忙しくなるとミスを連発する・・・脳の疲労

「いつもはこんなミスしないのに・・・」なんて方は、このタイプかもしれません。
外的ストレスによる脳疲労で集中力が低下したり、精神不安の要因となりキャパシティの低下につながることもあるでしょう。
睡眠不足や過度な仕事、運動不足等に心当たりがある方は、気を付けてください。

脳の疲労による凡ミスの場合は、電子機器の使用時間を減らしたり、軽い運動をすることで、軽減が可能です。
また、外的ストレスの排除や、ストレスを解消することで解決することも多いでしょう。

度忘れ頻発・・・脳の老化

「あのタスク、すっかり忘れていた」「これ、どうやってやるんだっけ」と、理解していたはずなのに思い出せないような方が、このタイプです。

「老化なんてしょうがないじゃん」と思っているあなた、それは違います。
決して年齢的なものだけではなく、スマホや電子機器の発達によって使われなくなった脳の劣化を「老化」と表現しているに過ぎないことを、あらかじめご理解ください。

会議中にメモを取る人と比較して、録音する人や、後から書かれていることを写真にとる人などは注意が必要です。科学の発展とともに、それを使えば使うほど、脳は老化し、ミスも増えるのです。

老化を防止する、もしくは若返らせるためには、意識的に脳を使いましょう。使うことで、キャパシティが増えることもあり、ワーキングメモリーの問題も同時に解決できるかもしれません。
文字を書く機会を増やしたり、資格取得の勉強をしたり、高齢者の方が脳の活性化のために数独をするのもこの類ですね。

「詰める」という文化

次に、「軍隊方式」や「体育会文化」等と揶揄されることの多い「詰める」という文化について言及していきたいと思います。

まず「詰める」という言葉の定義について考えていきたいと思います。
大枠から言うと「他社の失敗を叱責する行為」であることは間違いないでしょう。でも、ただ「叱責する行為」を「詰める」と定義してしまうと、上下の立場がある関係においては、ごく一般的なマネジメントも含まれてしまいます。

ここで「詰める」の定義において付加すべき行為は、「自責を強要すること」としようと思います。
ビジネスの現場においては、他責の思考よりも、自責の思考の方が成長にもつながりますし、組織における見え方も良い面の方が大きいのが大前提としてあるものの、自ら自責の念で反省し次につなげることと、他者が自責を強要して落ち込ませることは、また別の問題です。
とはいえ「自責の強要」と言っても、伝わりにくいと思うので、少しわかりやすく説明できればと思います。

「なんでできないの?」の恐怖

上司やクライアントに「なんでできないの?」と聞かれたときに、その原因が他者によるものを含んでいたとしても、理由を他者のせいにすると、スタンスそのもので更に詰められることは、火を見るよりも明らかでしょう。

ビジネスの現場においては、自責の方が良いという前提に立つと、一見正当なようにも見えますが、大きな落とし穴があります。これは「不自由な2択」となっているのです。

他責にすると更に詰められるのであれば、自責にするしかありません。そもそも「自分のせい」か「他者のせい」の二択しかない中で、その先を予想すると「自分のせい」しか選べないのです。

例えば、SI・SES業界のシステム開発の現場で、クライアントから「どうしてこの案件の開発期限が後ろにずれこんだの?」と聞かれた際、「想定外のバグが発生してしまって」と説明しても「バグが出ないようにはできないの?なんでできないの?」と言われてしまえば、「力不足ですみませんでした」と自責にするしかありません。これが自責の強要です。
(あえて「上司」ではなく「クライアント」に置き換えたのは、社内の上下関係以外にも起こりうることを例示したかったためです。)

このように、「なんでできないの?」は「不自由な2択」によって自然と自責を強要する、恐怖の言葉です。

その他に、「わかってるの?」という言葉も、同じく「不自由な2択」を迫られる恐怖の言葉です。

未だになくならない「詰める」という文化

上述したような、詰める文化は、果たして意味があることなのでしょうか。
もちろん全く意味がないとは言いませんが、明らかに建設的ではないし、生産性を著しく下げることは言うまでもないでしょう。

それでも「詰める」という文化がなくならない背景には、様々な理由があるでしょう。
「詰められて育ってきた人は、詰めるという育て方しか知らない」といった自身の踏襲や、「詰めたことで上手く、マネジメントできた(と思っている)」といった過去の栄光的な観点、その他に、企業としてそういった文化が根付いている環境もあるかと思います。

「詰める」のは簡単です。自身の感情をコントロールする必要性が薄く、詰められた人は思考が停止することが多いので、マウントも取りやすいでしょう。また、「詰める」側の人は、権力を誇示できたことに気分を良くしてしまう人もいるでしょう。

このように、心理的に選択しやすい指導方法だからこそ、人間の心の弱さから、「詰める」という文化は、なかなかなくならないのです。

人は、たとえ間違ったり失敗したとしても、その意味を理解し認めてほしいものです。その心を考えずに「詰める」行為は、あらゆる生産性の向上を阻害し、コミュニケーションロスを生むでしょう。

「詰める」が生む凡ミス

ここでようやく本題です。
ここまでお読みいただいた方はもうお分かりのことと存じますが、「詰める」という文化は、詰められた側のミスを生み、生産性を大きく下げます。

詰められることで止まる脳

ミスをする背景を4つほど説明しましたが、「詰める」という行為は、その内3つの要因に影響を及ぼします。

その根源としてあるのは、脳の疲労です。外的なストレスや「不自由な二択」により疲労した脳は、集中力の低下や、ワーキングメモリーの減少を呼び、凡ミスを連発する結果を招くわけです。

詰められて増えるミス、減るキャパ

詰められた人は、何をしていても「詰められないように・・・」と考えながら作業に取り組むようになり、集中力を欠きます。人の顔色をうかがったり、「詰められないため」だけの余分なことを考えながら取り組みます。結果として、本筋ではないことを考えた脳は、拡散し集中力を欠き、結果的にミスを生むのです。

そして同時に起こる、ワーキングメモリーの減少です。上述の通り、「詰められないように・・・」と取り組むことによって、自身のキャパシティの使い道の大半が「詰められないためのこと」となるため、本当にやらないといけないことがキャパオーバーになってしまった結果、溢れた部分にミスが発生するのです。

例えば、上司が稟議書の数字の誤植を指摘し詰めたとします。すると、次は数字を間違えないことに必死になり、結果として稟議書の大筋の話に矛盾が生じたり、もっと些細な日付や名称(固有名詞)等の誤りが発生します。まんべんなく気を張っていれば起きなかったミスも、一部で詰められたことによって、その一部にキャパシティを持ってかれてしまうわけです。

これは、夫婦関係でも起き得ることでしょう。
普段はまんべんなく気を配り、机が汚れていれば拭く、洗い物があれば洗う・・・という生活をしていた奥様が、ある時夫に「洗い物もっと早く洗いなよ!汚いよ!なんですぐやらないの?」なんて詰められた時には大変です。
翌日から夫に詰められないように、洗い物を最優先で取り組みます。すると、テーブルに座った夫から「テーブル汚いよ!なんで先に拭かないの?」なんて詰められ、そこにばかり気がいって焦った結果、食器を割ってしまったりするわけです。
(夫婦逆のパターンも然りです)

ミスしたときに大事なのは「反省」よりも「分析」

このように、「詰める」という文化(行為)は、ミスを生みだし、生産性を下げるものです。
「詰める」ことによって得られるものは、詰められた人が「やってしまった・・・次から気を付けよう・・・」とただただ反省することであり、自責を強要されれば落ち込み後ろ向きになるだけで、自信を喪失すればミスの数も加速度的に増えていくという悪循環に陥ります。まったく建設的ではありません。

ミスが起きた時には、客観的に分析をし、そのミスの要因を、自責と他責の両面で洗い出すことが重要です。分析で重要なことは、問題を属人的でない領域に落とし、「誰でも同じようにやれば失敗しない仕組み」を考えることです。「注意を徹底する」「つねに意識をする」といった精神的な努力目標を立てるだけでは、分析したことにはなりません。

自責を強要された人は、ネガティブな感情に主観的に向き合いすぎていることが多いです。そして悪循環に陥ります。
ネガティブな感情は客観的に捉え、分析をすることで、ミスを減らしていきましょう。

自分が「詰めてしまっているな」と感じた方は、客観的な分析に対処方法を置き換え、コミュニケーションロスを抑えた指導方法を、再度検討していただけると良いと思います。
自分が「ミスが増えているな」と感じている方は、そのメカニズムを理解し、客観的な対処で落ち着いていただければと思います。

 

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